2012年11月22日木曜日

バガヴァーン・ラマナ・マハルシの死の体験 - 新たなる命への目覚め

◇「バガヴァーンの死の体験(Bhagavan's death experience)」

 以下は、デイヴィッド・ゴッドマン氏のブログの投稿「Bhagavan's death experience(*1)の翻訳です。投稿された記事は、もともとは1981年4月号の「Mountain Path」に掲載された文章のようです。(文:shiba)

デイヴィッド・ゴッドマン氏の解説

 バガヴァーンの実現(悟り)についての最も詳細な記述は、B.V.ナラシンハ・スワーミーの伝記『Self Realization』に見出されます。それは初めて書かれた本格的な伝記であり、その後の記述はそれをそのまま引用するか、その内容をまとめるのであれ、彼の説明に大きく依拠しています。その本の記述はバガヴァーンの言葉を直接的に写し取ったものでなく、著者はその本のほとんどの版にある脚注でそれを明らかにしています。彼は1930年の6週間にわたりバガヴァーンと交わした一連の会話を彼自身の言葉で要約していただけであると言いました。以下の記述には、彼の最終的な記述がもとにした二つの対話が現れます。それらは未だ存在している会話の唯一の記録ですが、幸いにも体験の知られている全ての側面に及んでいて、それよりいっそう価値のある資料が失われていることはなさそうです。最初の対話は1930年1月8日に行われ、次の対話は数週間後の2月5日に行われました。

 この記述には、出版されたバージョンには記載されていない二つの重要な点があります。一つ目は、バガヴァーンがアーヴェーサム(*2)という言葉を繰り返し使い、彼の体験の最初の認識を説明していることです。その言葉はタミル語で霊に乗っ取られるという意味における「憑依」を意味します。最初の数週間は、バガヴァーンは彼の体に居を定めた霊に乗っ取られているように感じました。二つ目の関連する点は、その感覚が彼が家を離れるすぐ前まで続いたということです。アーヴェーサムが自らであり、彼の体に住む何らかの外的存在でなかったという彼の発見は、家を去るという彼の決断に寄与する要因であったかもしれません。

 この記述はバガヴァーンの言葉から作られていて、訳者の文体と好みの用語の強い痕跡は見られますが、すべての出版された伝記に記載されている説明よりいっそう正確なものです。

バガヴァーンとの対話① 

 死の恐怖は、私がマドゥライを永遠に離れる約6週間前に起こりました。それは、ある日の短い時間だけに起こりました。その時、突然の気持ちの高ぶりがありました。それは大さっぱに「熱」と言えるかもしれませんが、体に高い熱があったのかははっきりとせず、発汗もありませんでした。何らかのアーヴェーサム、何らかの霊が私に取り憑いたかのようでした。そのことは私の心の態度と習慣を変えました。以前、私には食べ物の好みがあり、他人への嫌悪がありました。この傾向は抜け落ち、すべての食べ物は、新鮮なものでも腐っているものでも、おいしいものでもまずいものでも、等しく無関心に飲み込まれました。勉強と義務は私にとってまるでどうでもよくなり、見ている人に私が読んでいると思わせるためだけに機械的にページをめくって勉強をやり過ごしました。実際のところ、私の注意は本には全く向けられず、結果、その内容を全く理解していませんでした。同じように、いつもこのアーヴェーサムに取りつかれて、つまり、私の心はそれらの義務にはなく、私自身の自らに魅了されている状態で、その他の社会的義務を行いました。全ての侮辱を謙虚と寛容を持って忍耐しながら、私は家で課される全ての重荷に耐えました。自らへの関心と自らへの内観が、定期的に他の一切の感覚と興味を飲み込みました。

 その恐怖は最初の日、つまり、目覚めた日だけにありました。突然、死の恐怖が起こり、それは外的な物事への無関心を発達させただけではありませんでした。それにより、二つの新しい習慣がはじまりました。一つ目は内観、つまり、絶え間なく私の自らへ注意を向ける習慣、二つ目はマドゥライの寺院を訪れる時に感じ入って涙を流す習慣です。その変化のまさに最初の日に、「私は誰か」という実際の探求と発見は終わりました。その時、直観的に私は息を止め、私自身の本質への探求によって考え始める、もしくは、内に潜り始めました。

 「この体は死につつある」-粗大な物質的な体を指して、私は心の中で思いました。私は人間の中にスークシュマ・シャリーラ(微細な体)があるのを知りませんでした。心のことさえ考えませんでした。体という言葉を使った時、私は粗大な物質的な体について考え、それが死に硬直する時(これをじっと考えながら、2階で死後硬直した死体のように大の字に伸びた時、実際に体が硬直したようでした)、は死んでいないという結論に達しました。それとは逆に、私は生きていて、存在しているのを意識していました。それで、私の中に「この『私』は何だったのか。それはこの体だったのか。誰が彼自身を『私』と呼んだのか」という疑問が起こりました。

 それで、「私」や他のどのような言葉も発しまいと決心して、私は口を閉じました。依然として私自身の内に感じました-「私」はそこにある、それ自体を「私」と呼んだり、感じるものがそこにあると。それは何だったのでしょうか。私は、「体を利用している力、流れ、もしくは、エネルギーの中心があり、体と関係して存在しているが、体の硬直や活動にかかわらず存続している」と感じました。その流れ、力、もしくは、中心こそが私の自らを形作っており、私を行為させ、行動させ続けたものでしたが、それを知るようになったのは初めてでした。私はそれ以前に私の自らをまるで知りませんでした。その時以来、私はその流れへの観想に夢中になって時を過ごしていました。

 (先に述べたように、6週間の最初の日、新たな命への目覚めの日に)いったん私がこの結論に達すると、死の恐怖は抜け落ちました。それは私の思いの中に居場所がありませんでした。「私」は微細な流れであり、恐れるべき死を持ちませんでした。そのように、さらなる発達や活動はその新しい命から起こっていて、いかなる恐怖からでもありませんでした。その当時、その流れと人格神、すなわち、私がよく彼を呼ぶところのイーシュワラとの同一性を私は知りませんでした。非人格的な絶対者であるブラフマンに関して、その時、私は知りませんでした。その時、私はその名前を聞いたことさえありませんでした。『ペリヤ・プラーナム(*3)』と聖書の授業での聖書からの4つの福音書と詩編を除き、私は『バガヴァッド・ギーター』やその他の宗教書を読んでいませんでした。ヴィヴェーカーナンダ(Vivekananda)のシカゴでの講演の写しを見たことはありましたが、読んではいませんでした。彼の名前さえ正しく発音できませんでした。私はそれを「Vyvekananda」と発音し、「i」に「y」の音を与えていました。一般に知られている神の概念-が無限に力に満ちた人であり、を象徴する形において特別な場所で崇拝されているが、あらゆる所に存在している-を除いて、宗教哲学の概念を私は何も知りませんでした。聖書と『ペリヤ・プラーナム』から得た他の類似したいくつかの考えに加え、私はそれを知っていました。後に、私がアルナーチャラの寺院にいる時に、私自身とブラフマンとの同一性について学び、それは私が『リビュ・ギーター』で全ての基礎になるものと聞いたものでした。私は全てが私によってではなく、その流れによってなされていると感じていただけでした。それは私が別れの短い手紙を書き、家を離れて以来ずっと私が持っていた感覚でした。私はその流れを狭い「私」とみなすのをやめました。その流れ、もしくは、「アーヴェーサム」は付け加えられたものではなく、今や私の自らであるかのように感じられました。

 その目覚めは、一方で、私に「私の自らとは流れ、もしくは、力であり、私が何をしようともその中に私は永遠に吸収されている」という連続した認識や感覚を私に与え、他方で、その憑依は(マドゥライの)ミーナークシ・スンダレーサ寺院へ私を頻繁に導きました。以前、私は友人と共にときおり寺院を訪れたものでしたが、その時は目立った感情的な効果をもたらさず、まして習慣の変化もありませんでした。しかし、目覚めの後、私はほとんど毎晩そこに行き、その取り憑かれた状態でシヴァ、ナタラージャ、ミーナークシ(*4)や63人の聖者の前に行き、長いあいだ一人で立っていました。私はすすり泣き、涙を流し、感動して震えました。いつもは特に何かを求めて祈らないのですが、よく私は・・・を望み、祈りました。

デイヴィッド・ゴッドマン氏の解説

 この原稿の残りは失われていますが、数週間後の1930年の2月5日に、ナラシンハ・スワーミーは同じ話題に関して彼に質問しており、バガヴァーンは以下のような答えを与えました。

バガヴァーンとの対話②

  1896年のその6週間に私をマドゥライの寺院に連れて行ったのは、死の恐怖ではありませんでした。私が叔父の家の2階にいた時の短い間、その恐怖は私を捕らえ、あのアーヴェーサム、もしくは、流れを生じさせました。取り憑かれたことは、私を内観的にし、私に私自身の本質を絶え間なくのぞかせ、また寺院へ私を運び、苦しみや喜びやその他の理由もなく私をすすり泣かせ、涙をながさせ、それはまた「私が63人の聖者のようになりますように」、「私がイーシュワラの祝福や恩寵を得ますように」と祈らせました。それは一般的な祝福であり、特に何かをはっきり言ったり、望んだりはしませんでした。その時、私は思いも死の恐怖もなく、死からの解放を願って祈りませんでした。その6週間の前もその6週間も、私は地上の生が苦しみに満ちているとは思わず、サンサーラ、つまり、人間の生からの解放への熱望も祈りもありませんでした。この場所にやって来て、本を読んではじめて、サンサーラとバンダ(束縛)についての全ての考えや話を学びました。私は生が悲哀で満ちていたり、その生が望ましくないという考えを一度も抱きませんでした。

 そのアーヴェーサムはちょうど今まで続いています。聖典の言葉を読んだ後、それがスッダ・マナス(純粋な心)、アカンダーカーラ・ヴリッティ(*5)(途切れることのない体験)、プラジニャー(真の知)など、すなわち、イーシュワラやジニャーニの心の状態と名付けられうるのが分かりました。

質問:
 違いの認識や、「私が63人の聖者のようになり、イーシュワラの恩寵を得ますように」という祈りがどうしてあったのでしょうか。

バガヴァーン:
 途切れることのない(アカンダーカーラ)流れがそれらと戯れていて、その望みにもかかわらず、依然として存続していました。

(*1)http://sri-ramana-maharshi.blogspot.jp/2008/05/bhagavans-death-experience.html
(*2)アーヴェーサム・・・タミル語のஆவேசம்。霊に取り憑かれること。
(*3)ぺリヤ・プラーナム・・・63人のシヴァ派の権威ある詩人の伝説上の人生をしるしたタミル語の詩的な物語。セッキザールによって12世紀に編纂された。
(*4)ミーナークシ・・・http://www.k5.dion.ne.jp/~dakini/tenjiku/zukan/minaksi.html
(*5)アカンダーカーラ・ヴリッティ・・・ヴリッティは「体験」と訳されていますが、もとは「心の働き、思い」という意味です。バガヴァーンは、ヴリッティという言葉はそれを表わす適切な言葉がないから使われているだけであって、海に流れ出た川を「海のような川」というようなものであると述べています。

1902年に撮影されたシュリー・ラマナの最初期の写真

◇『バガヴァーンとの日々(Day by Day with Bhagavan)』(p2~3、p47~48:前略)

45年3月18日

 45年3月15日ごろ、どのように官能的な生活に完全に浸っていた者が、突然、嫌気を感じ、非常に敬虔な生活という全く正反対の行動をとったのかトゥルシー・ダースの物語から説明するために、バガヴァーンは講堂にいる誰かにバクタ・ヴィジャヤム(*1を朗読するよう頼みました。物語の中で、トゥルシー・ダースは妻と家から逃げ出し、バナーラスでハリ(*2)に夢中でした。妻と母親は彼に戻ってくるよう懇願しに行き、彼女たち皆への彼の大変な愛情を彼に思い出させました。彼は彼女たちに全く見向きもしませんでしたが、「私のハリは来ましたか。ええ、彼はそこに来ます!」などと彼女たちに尋ねました。彼はハリだけに夢中で、他の何にも興味がありませんでした。この部分が読み上げられていた時、バガヴァーンは言いました。「マドゥラで、私は若干このようでした。学校に行き、本を手にし、空に神が突然私の前に現れることを熱心に待ち望んでいたものでした。そうして、私はよく空を見上げていたものでした。そのような者が学校の勉強でどの様な進歩ができたでしょうか!」

 [これは彼がマドゥラを離れる少し前のようでした。彼がマドゥラでそのように神に夢中であったことを、バガヴァーンからも他の人々からも、私は以前に聞いたことがありませんでした。そのため、私はそれをここに書き留めました。]

(*1)http://www.sriramanamaharshi.org/resource_centre/audio/maha-bhakta-vijayam/
(*2)ハリ・・・ヴィシュヌの別名。『シュリーマッド・ヴァーガタム』では、主ナーラーヤナはハリとよく呼ばれており、信奉者の全ての苦しみを取り去り、束縛を破壊し、解放を授ける。

45年11月22日 朝

 遅めの朝、リシケーシャーナンダの要望で、バガヴァーンはマドゥライの2階の彼の部屋での最初の自らの体験を物語りました。

 「私が手足を広げて横たわり、心の中で死の場面を演じ、体が運ばれ、火葬されても、私が生きていることを悟った時、何らかの力が-それをアートマンの力か何かと呼ぶのであれ-私の内から起こり、私に取りつきました。それにより、私は生まれ変わり、新たな人間となりました。その後、私は全てに無関心になり、好きなものも、嫌いなものもなくなりました。」

 シュリニヴァーサ・ラオ医師が、どのようにバガヴァーンが初めてバクティを持つようになったのか尋ねました。

 「私の中に初めてバクティを引き起こしたものは、『ペリヤ・プラーナム』という本でした。それは私の家で見つけたもので、隣人の持ちものでした。私はそれを最後まで読みました。しかしながら、寺院に毎日行き、『ペリヤ・プラーナム』の63人の聖者(ナーヤンマール)の一人のように身を捧げたいと祈ったのは、上で説明した体験の後にのみ起こったことでした。

6 件のコメント:

  1. これは、とても興味深いお話しですねぇ~
    翻訳、ありがとうございます!
    僕は、当初、マハルシが「死の体験」をしたときに、真我にとけ込んだと思っていましたが、やはり、そうではなかったのですねぇ~
    真我を感じ、真に理解し、傾注し続けた結果、と込まれた。
    http://ookuwablog.blog94.fc2.com/blog-category-1.html

    「ペリヤ・プラーナム」が気になって、とりあえず、「インド、チョーラ朝の美術」を買っちゃいました。
    (^_^;)

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  2. 真我に完全に溶け込んだのがいつなのか、実のところ私にはよく分かりません。死の体験の日に、「(先に述べたように、6週間の最初の日、新たな命への目覚めの日に)いったんこの結論に達すると、死の恐怖は抜け落ちました。それは私の思いの中に居場所がありませんでした。「私」は、微細な流れであり、恐れるべき死を持ちませんでした。それで、さらなる発達や活動はその新しい命から起こっており、いかなる恐怖からでもありませんでした。」とあり、もう溶け込んでいるようにも思えますし、ookuwaさんが引用された箇所や「その流れ、もしくは「アヴェサム」は、付け加えられたものとしてでなく、私の自ら(*6)のように今や感じられました。」とあるので、はじめは完全に溶け込んでないのかも、と考えられます。この投稿の会話は、正確な記録ではないということもあり、いくぶん分かりにくく感じます。

    「インド、チョーラ朝の美術」を買われるとは(笑)。「ペリヤ・プラーナム」は売っているみたいですよ。http://www.amazon.com/Periya-Puranam-Classic-English-Translation/dp/8178231484

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  3. そうですねぇ、、、本当のところは、今となってはわからないですねぇ。。。
    (;^_^A

    真我にとけ込んだことがないので、まったくわかりませんが、「変容のプロセスは即座にもたらされる」けど、即座に没入することはできても、とけ込ませてもらえるのは、即座ではない?
    傾注し続けることによりとけ込ませてもらえる?
    まぁ、何というのか、「マハルシの教え」って、マハルシの実体験からきてますよねぇ?
    と、考えると、「死の体験」は、即座にとけ込んだのではないような気がしてなりません。
    (;^□^)あはは…

    「インド、チョーラ朝の美術」、即買いしてしまいましたぁ!
    なんていうのか、マハルシが涙を流し、感動して震えた「63人の聖者」を見たくて。。。
    (;^_^A
    「ペリヤ・プラーナム(英語版)」の情報、ありがとうございます!

    「海に流れ出た川」を眺められるよう、頑張りたいです!
    (*^_^*)

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  4. なるほど~、63人の聖者がのっているのですか。それは見てみたいですね。

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  5. 初めてコメントさせて頂きます。
    ラマナアシラムのラマナ像の前には「死の体験」の文書がかけられていますが、ラマナの体験でそれが最高って訳で無いはずだと思っていました。

    実は、私は自分流の解釈でラマナについて触れるブログを書いていて、先日も「肉体を自分ではないと感じることは、未だサマディーではない」と云い切っちゃったばかり。誰かに怒られたらどうしようとヒヤヒヤしてました。
    裏付けとなりそうな文書があると聞いて、ホントに嬉しいです。
    これからも、翻訳の方、応援しています。

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  6. 応援ありがとうございます。サマディーについてはよく分からないのですが、「肉体は自分でない」ということに関して、 
    http://arunachala-saint.blogspot.jp/2012/01/reality-in-forty-versessupplementulladu.html
    の13など参考になるかもしれません。

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